masaotvのブログ

中四国に住む、地元住民の地元住民によるブログです。

実家依存症の妻と離婚して約一年後の心境

更新が遅れましたことを、お詫び致します。
昨年秋に離婚して、現在1年が経ちました。

離婚当初は冷静に考えられず、仕事をしている時も、恨みと呪いの思いを忘れようとしても、また考えて、の繰り返しでした。

離婚するまで自己啓発本を何十冊も読んでいましたが、いざ試練が降りかかってくると、本で読んだ数々の言葉も全て虚しくなり、はたして著者は本当に試練に直面した事があるのか、何が怒らない技術だ、と何の罪も無い著者に怒りの矛先を向けたりもしました。

ですが、友人や職場の同僚、知人が話を聴いてくれた事で、癒やされることもありました。本当に皆、親身になって聴いてくれました。

しかし、恨みの想いは晴れること無く、許す・許さないの次元にも至らず、出会ってからの出来事全てを忘れようとする事が、自分にとっての解決策でした。

大変な試練に直面した人は、おそらく皆が、時間によって癒やされているのかなあ、と自分なりに悟ったりもしました。

話は戻ります。
離婚話が出ていた時も、沢山の、書ききれない位の嫌な出来事がありました。

例えば、僕の尊敬する先輩と家族ぐるみで食事会をした事があったのですが、ひょんな事から職場から交通費は幾ら出るのか、という話になり、その時は普通に会話して終わりました。

後から家計のやり方で喧嘩になった時、その時の事を突然妻が言い出し、
“あの時〇〇さん(ぼくの先輩)は、今まで見たことがないくらい顔が引きつっていた、あれは、奥さんを騙して、交通費を過小に申告し、余った分を自分の懐に入れているに違いない”

と言ったのです。
先輩は良かれと思って食事に誘ってくれて、食事会のあと結婚祝の品も渡してくれた人です。
また、結婚式の友人代表のスピーチも任せてくれた人です。

今まで見たことがないくらい顔が引きつっていたといいますが、妻と先輩は3回位しか会った事がありません。

大切な人がお金をくすねていると言われたら、あなたは傷付かないのか、と問うと、
“私の実家では、お金の話をするのは普通、例えば母親も、私の友達のお金に関する話をする”
と言われる。

そもそものお金に関する喧嘩の発端として、家計の管理を僕がするようになり、一ヶ月後、
“お金が全然貯金できていない、どういうこと!?”
と妻がが言い始めたものです。

僕が酒やギャンブル、その他の遊興に家計の金を使っていたらその言い分も分かりますが、本当に使っていない。
お金の溜まっていないのは、あなたの実家の近くに引越して、引越費用や、新たな家財道具を購入したためです。

さらに、その一ヶ月の間に、妻はウクレレを家計のお金で相談無しで購入していたのです。
何故、僕が責められるのか?
もう、意味が分からな過ぎて、言葉がもう出てきませんでした。

そして、妻が実家に帰り、離婚の話をしている時も、子供に会わせて、とメールを送ったのですが、
“私が実家に帰っている2週間の間、子供を心配するメールを一切送ってこなかった、子供に対する愛情がないあなたは、子供に会う資格がない”
“あなたに殺されるから、あなたに会えない”
などと、殺されるとまで言われました。

僕は感情的になって大きな声を出した事はありますが、暴力なんて、本当にふるった事はありません。

もう本当に書ききれないくらい、沢山の出来事がありました。

今、僕と近い状態でおられる立場の方がおられるとしたら、世の中には本当に理解できない存在がいる、と認識した方が良いです。

理解できない存在をコントロールすることは、自分の寿命を縮めるくらいエネルギーが入りますが、それでも相手は変わりません。

そのような相手からは、一刻も早く逃げて下さい。
それが、一番の解決策だと、僕は思います。

実家依存症妻から逃げました⑩

(何を言っているか分からない?)
さすがにカチーンときました。

実家依存症だけではなく、家計など重要な事も全部自分の実家のやり方を押し付けてくる。

もう限界です。

大喧嘩の末、向こうが怒って実家に帰りました。
今までずっと一人だったので、何とも思いません。

数日後、妻が突然、義母を連れて事情を聴きにくる。

義母から、
「あなたみたいな人聞聞いたこと無い」
と罵倒される。

義母「子供が可愛くないんですか?何で、私の家に娘を迎えにこないんですか?」
と言われるが、僕が悪いのだろうか?
ずっとあなたの娘が実家にいるから、そもそも子供にも接する機会が少なかった。

妻は“今日は謝りにきた”というが、僕の弁論を聞いた義母からそうなのか?と尋ねられると、全力で言い訳をする。


今まで何度このやり取りをしたろうか
多分僕は前世で100人くらい人を殺してるんだ
だから僕の人生はこうなんだ


日を改めて妻が来たが、もうこの人と寄りを戻しても、絶対同じ事の繰り返しだろう。
先は見えている。
離婚するしかない。

子供はどうなるだろうか。
元気に生きてくれるだろうか。
世間様から冷酷だと言われるだろうか。

子供の為に我慢するか。
僕がストレスで過労死、もしくは早死、
不幸になる未来しか見えない。

人生の第一号は自分。
自分が不幸なのに、人を幸せにできるか。
自分に正直に生きよう。


次回は最終回です。

実家依存症妻から逃げました⑨

そして、僕が不機嫌なのを察知し、妻も実家に帰らなくなりました。
実家に帰らず4日程度経った時、家計のやり方で喧嘩になりました。



(ここからは結婚当初の話です)

妻はとにかく家計を握りたいタイプで、同棲を始めた当初は僕に毎月貯金を8万するように言ってきました。
家賃、光熱費、自分の携帯代など、僕が支払っているにも関わらず。僕の収入も20万程度です。

妻は食費を担当していますが、
“自分は家賃手当てが無い、交通費もあなたより少ない”と、貯金は四万でした。
収入が本当に少ないなら分かりますが、妻は国立の病院に勤めており、公務員にあたります。
そんなに少ない訳は無い。

食費に関しても、毎月六万かかると言われ、
2人でそんなにいるのか?と思い、抗議しましたが、私の独身時代は一人で三万かかっていた、
とキレられる。

意見するも聞き入れられず、しばらくそのまま経ちました。そして妻が実家に帰り、全く帰って来なくなったタイミングで、
“今の現状で、このやり方はおかしい!”
と、僕が電話で抗議し、財布が別になりました。





妻と子供と3人で暮らすようになった事で、家計も一つの財布に戻すことになりました。

しかし、家計の財布は妻だけが持っているため、僕が子供のオムツや食材を買う時は、自分のお小遣いから出し、月末にレシートで妻へ請求する形でした。

最初は払ってくれていましたが、次の月は払ってくれませんでした。
わざとなのか、そうでないのかは分かりません。
それほど大きな額では無かった為、お金の事でいちいち言うと、小さい人間に思われるのが嫌で、僕も言い出せませんでした。

こんな思いをするのはもう嫌だと思い、
“家計用の財布を僕にも持たせて欲しい”
と意見したどころ、

“私は勘のいい方で、大抵の事は少しの言葉でもすぐに理解するほうだけど、あなたの言っている事は全く何を言っているのか分からない。”

と言われました。

実家依存症の妻から逃げました⑧

その後フォローの電話が、義母からあり、

僕は「そうですか。それは大変ですね。すみませんが、よろしくお願いします。」

と返答。

 

妻の症状はよく分からず、結局引越するまで帰ってきませんでした。

妻が言うには「とにかく眠たい」

のだそうです。 

 

実家に帰りたいという欲望が爆発した、ヒステリック症状だと思います。

 

引越作業は、子供が動き回らない内にしようと、妻がせかしたのですが、ほぼ一人でやりました。

 

そして新居に移ります。

妻は毎日実家に帰り、僕が帰る直前に戻ってきていました。

子供と2人っきりだと、それはストレスも溜まるよね、と自分を納得させていました。

 

しかし、朝は五時に起き、帰りは八時か九時頃になるため、疲労の蓄積と共に、“帰る直前まで実家にいる必要ある?”

と、段々腹が立ってきました。

 

ある時、台風のため電車が止まり、車で行き帰りした際、家に早く帰ってくると妻の姿はありませんでした。

 

僕は頭に血が上りながら夕食の用意をしました。

 

妻の言い分では、

“帰る時間ぎりぎりまで、わざと実家にいるのではない。子供をお風呂に入れると寝ついてしまい、起こすと可哀想だからこの時間になるのだ”

とのこと。僕も休みの日に子供と一緒に過ごしますが、毎日規則正しく昼寝はしませんが。

 

もうこの人には、何を言っても、変な理屈を言われるだけだ…

 

続く

実家依存症の妻から逃げました⑦

妻は仕事帰りにはご飯も作ってくれており、家庭を持った喜びを噛みしめました。

子育ても協力しながらでき、

本当の家族ってこういうのなんだと。

 

初めての子育てで、色々疲れるのでしょう、実家に帰る事がまた少しずつ出てきました。

日中子供と2人っきりだと、それは疲れるでしょう。僕もそんなもんだと思っていました。

 

妻がようやく家に来てから、

「子育てのことを考えると、どちらかの実家の近くのほうが良い」という話をしていました。

どちらかといえば妻の実家が協力的であるため、妻の実家の近くにいずれは引越しなければと、話し合いをしていました。

 

妻の実家の近くとなると、ぼくの職場は車で一時間半です。なので、いすれかは職場を移らないといけないと考えていました。

 

育休も一年はあるし、まだ引越までは余裕があるだろうと考えていたところ、

“子供が動き出したら目を離せなくなり、引越ができなくなる”

と妻より。

あなたが引越してきて、まだ2ヶ月も経っていませんが。

よっぽど早く実家の近くに行きたいのだな。やっぱりね、とため息をつく。

 

 

長時間の通勤になるので、妻から電車で通う事を提案されました。電車で本も読めるし、と思い僕も受け入れました。

 

いよいよ引越一週間前になり、本格的に家財道具を整理し、荷造りしようとしていたところ、妻から仕事中に、

“気分が悪くなり、吐きながら車を運転して実家に帰った。実家の玄関に着いたら倒れ込んでしまった”

というLINEが届く。

(え?また??そもそも吐きながら車は運転できるのですか。玄関で倒れ込んだっておおげさじゃないの。)

そこまで体調悪い人間が、吐きながら車を一時間も運転できるとは思えません。

 

続く

実家依存症妻から逃げました⑥

“私が馬鹿だった”
の言葉は一体何だったのだろうか。

翌日妻から、
“思い出したけど、私はあなたの為に帰らなかった。私がいる事で、あなたが私の世話をしなければならなくなり、迷惑をかけるから”

僕は、あまりの理屈に驚天動地、ここまでか!
と驚きました。
昨日の発言で自分の立場が悪くなると思ったんだね。
でも、その理由は無理があるよ…

付き合う期間が短かったぶん、夫婦で困難を共に乗り越える事で、本物の夫婦になる、という自分の思いは消し飛んでいます。

出産後一年間は実家にいると思ってましたが、義母と一緒にいる時に問いただした時、

妻「私はそんなこと言っていない。勘違いじゃないの」
僕「じゃあいつ帰ってくるの?」
妻「首が座るまで」
義母「そんなこと言ってたらいつまでも帰れないでしょう」
妻「私は病院で働いているから、首の座ってない子供が運びこまれているのを見てる!だから分かってるのよ!小さいうちは大変なのよ!!」

はい、そうですね。
さすがにまずいと思ったのか、2ヶ月で帰ってきました。
やっと、夫婦で困難を共有できる、本物の夫婦に近づいてきました。

実家依存症妻から逃げました⑤

もちろん、会いたくない、と答えました。
帰ってきたら済むと簡単に考えている事、帰ってきてもほとぼりが冷めたらすぐに実家に帰るからです。

一週間程経ち、妊娠中の妻に精神的ストレスを与えるのも、さすがに問題があると思い、

“感情的になって申し訳ない”

というようなLINEを送り、向こうの実家に平謝りに行きました。
向こうもある程度は自分達の非を悟っており、和解しました。

“悪阻で具合が悪いんなら、無理せず実家におってね”

と、その時言いました。
和解したものの、正直もう一緒に暮らしたくないから。

悪阻が収まり、産休にも入りましたが、結局妻は出産日まで帰ってきませんでした。

理由を問うと、
“あの時の喧嘩で、私の母親に怒鳴り込んできた事が許せず、もう帰らなくてもいいやと思った”
からだそうです。

続く